もう10年以上も前に発売されてもなお、売れ続けている岸見一郎氏の著書「嫌われる勇気」。
20代の頃に出合ってから私の人生のバイブルになっています。
アドラー心理学という何だか難しそうな用語ですが、青年と哲人による対話式の文章なのでスッと理解できます。
私は20代でこの本に出会ってよかったと思っています。迷いやストレスが出てきた時、この本で読んだことを実践しています。
課題の分離をすればめちゃくちゃ生きやすくなる
課題の分離とは簡単にいうと、他者の問題に首を突っ込まないということです。それが自分の子どもであれ、配偶者であれ、肉親でも。です。
私が実践している「課題の分離」
- 他者の問題に感情を引っ張られない
- 他者の愚痴に関与しない
- 命に関わらなければ放置(助けない、知ろうともしない)
- 自分の悩み事を親にもペラペラ話さない
- 戦争や被災者の情報から離れる
これらのことから離れることで、メンタルを安定させるようにしています。
「嫌われる勇気」の中でも他者の課題に踏み込まない。と提言しています。
人が生きていく上で、会社の同僚や親、兄弟、子どもなど人と関わらずに生きていくことはできません。でも人と関わることが多いからストレスも悩みもできますよね。
肉親なら尚更、嫌いでも離れられないので厄介です。
私は親を大事に想っていますが、会話をしていると昔の愚痴を聞かされたり、ネガティヴな考えを示してきたりと、愚痴のゴミ箱にされるときはうんざりします。
言った本人は殴り返してこないサンドバッグを叩きまくってスッキリしますよね。
私が親に対してイラつくのは
- 視野が狭く、教養がないのでおしゃべりがつまらない
- 貧乏育ちで自己肯定感が低く、卑屈なものの考え方で辛気臭い
ことが苦手です。たくさんの愛情をもらって育ててもらいましたし、子どもの頃は習い事もたくさん通わせてもらいました。
でも大人になって親以上に教養を深めたり、自立をすると会話が噛み合わないのです。
よく偏差値が20以上離れると会話が成立しないと言いますが、こんな状態です。
努力もせずに文句ばっかり言っている親にうんざりしています。
「あぁ……親にもっと教養があればいろんなことを一緒に楽しめるのに……」
なんて思っても親は60年以上これで生きてきたのです。
これで良い、と思って親は生きてきたのです。
今更変わるなんて無理です。
でも、イライラするものはするので。
そんな時は、
アドラー心理学が提案する「他者の課題に踏み込まない」を発動することで、ネガティブな感情に振り回されることから自分の身を守っています。
それでも疲れる時は人と会わないようにします。
そうやってこまめに人との距離を置いています。
嫌なことから逃げる。嫌なことに近づかない
私の嫌いなものは
- ネガティブな思考の人
- 満員電車
- サービス業に従事すること
- 戦争や地震等で被害にあった人を見る
なのですが、全て人がいますよね。決して人間嫌いではないのですが、人と会うと疲れることもあり在宅ワークをしたり、田舎に住んだりしています。
今思えば、上記のことに関わらないような選択をして生きているなぁと思います。
戦争も被災者の情報も私にできることは寄付だけ。その人達に降りかかった悲惨な出来事をSNSで収集したって、どうすることもできません。
ただ胸が痛むだけだし、怒りが湧くだけです。
他者は変えれられないので自分が変わった方が良い
とはよく言いますが、30代になると少しは賢くなって、他者を変えるなんて傲慢だし、100%無理なことが身に沁みてわかってきます。
自分の思考のクセが発動して、なかなか思想を変えるのも難しいけれど、私は何か心をかき乱されそうになったら、
「この人の問題に私が介入したとて、私は幸せにならない」と思うことで乗り切っています。
「何の意味がある?」
「こんなことに私の貴重な時間を使うなんて無駄www」
と思ってバッサバサ切り捨てていってます。
おかげ様で他者からの評価は
「あんたは本当に人に興味がないw」
と思われているようです。
うん、これでいい。これでいいんですよ。
SNSでも他者のことにいちいち突っかかっている人を見ますが、そんな暇があるなら、自分のダイエットの心配でもしたら? と思います。
あと5kg痩せたい……は立派な自分の悩みです 笑。
私は毎日、早く痩せたい。痩せるには何すればいい?
と意識することでウォーキングしたり、夕飯に炭水化物を少なくしたりと行動するようになりました。
問題解決するために人間は意識して動くのです。
どうせ悩みのリソースを増やすなら、自分にとって有益なことにしませんか。
嫌われる勇気